Aさんは、父とともに小さな料理店を営んでおり、結婚して県外に住んでいる妹が二人いる。父が亡くなり、料理店をたたむことになったが、店舗の改装や、運転資金として父が借りていた多額の借金が残っている。
3人で相続について話した際、妹たちから、「お店はお父さんと、兄さんがやってたんだから、お店の借金は兄さんが責任を取って欲しい。お店の土地はいらないから、その代わり借金は兄さんがちゃんと払ってよね」と言われた。その後、Aさんはお店があった土地も売って返済にあてたが、完済できなかったので、金融機関は残った借金の返済を二人の妹たちに迫ってきた。もちろん、妹二人は、激怒して、「お店の借金は私たちに関係がない。一切払うつもりはない」とAさんを責め続けている。
広い意味で、”遺産”とは、人が死後に残した財産を指しますが、この”財産”には、プラスの資産だけがあるとも限らないことを忘れてはいけません。例えば、親子間の相続の場合、親が先に亡くなることが多いので、親の遺産を子どもが相続することになる訳ですが、相続によって引き継ぐものは、親の”財産”だけでなく、親の”借金”も引き継ぐということです。
Aさんのケースも、「Aさんがお店の一切を引き継ぐ」という話し合いをしていたからといって、二人の妹さんが、父の借金を払わなくて済むということにはなりません。
借金には、債権者(借入先)の利害も絡んできますので、仮に「財産のない相続人に借金全部を引き継がせる話し合いをすれば、その人にしか請求できない」とすると、借入先は、借金の回収ができません。もし、他に財産を持っている相続人がいれば、その人に請求したいところです。このようなに借入先の都合も考えて、借金は、相続人がどんな話し合いをしようとも、法定相続分に沿って、それぞれ相続人が引き継ぐこととなっているのです。
では、”借金”のように、どんな遺産も子どもは引き継がなければならないかといえば、そうではなく、相続の放棄をすることもできます。ただし、相続放棄は「借金は引き継がないけれど、財産だけ引き継ぎます」といった都合のいいことはできません、潔く、「財産もいらない、借金も引き継がない」ということなのです。
相続放棄は、法律で決まったやり方をしないと効果が発生しません。つまり、他の相続人に、「私は放棄します」と宣言しても、放棄の効果は発生しないのです。
では、具体的に相続放棄の手続きを見ていきましょう。
相続放棄には、①家庭裁判所に、定型の書式と添付書類(戸籍謄本、住民票など)を提出すること、②亡くなってから3か月以内(亡くなったことを後で知った場合は知ってから3か月以内)に提出すること、が必要です。
また、どこの家庭裁判所に、ということですが、親が最後に住んでいた場所の家庭裁判所ということになります。よって、親元を離れて住んでいる子どもは、遠くの家庭裁判所に相続放棄の手続きをしないといけませんが、郵送でも受け付けもらえるようです。
ここで、注意すべきことは、相続放棄をする場合、親の遺産には決して手を付けないことです。仮に親の遺産を使ったり、受け取ったりすると、相続放棄はできません。
Aさんのケースでは、Aさんと妹さんの3人ともが、相続放棄をするのが、もっともよい選択だったのですが、残念ながらAさんは、お父様のお店を売却した時点で、遺産を相続したことになり、相続放棄はできません。妹さん方については、父の死亡から3か月以内であれば、相続放棄ができます。
また、相続放棄をした相続人は、「最初から相続人ではなかった」という扱いになりますので、仮に、妹さん二人のうち一方だけが相続放棄した場合は、Aさんと、相続放棄していないのほうの妹さんの二人が借金を2分の1ずつ引き継ぐことになります。つまり、相続人の一部が相続放棄をすると、そのほかの相続人が引き継ぐ借金が増えてしまいます。借金を引き継ぎたくない場合は、相続人通しでよく話し合い、放棄するなら、きょうだい全員が(どちらかの親がまだ健在なら、親も)相続放棄したほうが、あとで困ったことにならないでしょう。
相続放棄の定型書類(相続放棄の申述書)や添付書類を家庭裁判所に提出すると、後日、家庭裁判所から、放棄の意思は間違いないのか、といった意思確認の問い合わせが来ることがありますが、最終的には、家庭裁判所から、相続放棄申述受理通知書が届きます。
この通知書に受理した日が書いてありますが、この日付は、相続放棄の申述書を家庭裁判所に出した日よりも後の日付になります。家庭裁判所が形式的な審査や本人の意思確認をして、正式に受理した日付なので、出した日よりも後になるのです。よって受理した日が亡くなった日の3か月より後でも、問題はありません。
相続放棄申述受理通知書は、「お知らせ」程度の意味で、家庭裁判所が相続放棄したことを正式に証明するものではありません。
よって、借入先から、相続放棄したことの証明書を出すように言われた場合は、家庭裁判所に相続放棄申述受理証明書を申請します。
くどいようですが、相続放棄をする場合は、親の遺産には決して手を付けてはいけません。相続放棄の受理について、家庭裁判所は、相続放棄の要件があるか、例えば、親の遺産を使った、もらったようなことはしていないか?などといったという実質的な審査はしません。つまり、受理の時点では、形式的な審査や本人の意思確認程度しかしませんので、相続放棄の申述が受理されたからといっても、あとで、親の遺産を使った・もらったことが判明すると、相続放棄の効果がなくなることがありますので注意しましょう。